デザインの見方

最終更新日 : 2011/4/19 (2011/3/28 より執筆開始)
下滝 亜里 <asatohan at gmail.com>
内容に関するコメント(感想、提案、書き間違いの指摘)は歓迎します。

ドラフトバージョン
まずはブログで書いています

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はじめに

デザインの枠組み

デザインの分野は様々です。この章では、特定の分野に限らない形でデザインの枠組みを考えます。

グラフィックデザインやキャラクターデザイン、建築、ソフトウェアデザイン、情報デザイン、サービスデザイン、エクスペリエンスデザインなど、モノに関わる様々な行為や活動がデザインと呼ばれています。様々なモノがあれば、そこにはそれぞれのモノを形作るデザインのプロセスがあったという感じでしょうか。プロセスの理解が一つの課題となります。

デザインのプロセスでは、様々な人が関わります。関わる人の全てが、デザイナー としての役割を持つわけではないかもしれません。ここでは、デザイナーやデザイナー同士の関係に関する理解が必要となります。たとえば、優れたデザイナーとそうでないデザイナーの違いは何でしょうか?

また、デザイナーは、様々な状況(シチュエーション、コンテキスト)でデザインを行います。同じモノをデザインするとしても、デザイナーは、状況による様々な影響を受けるかもしれません。状況についても理解を深める必要がありそうですね。

「デザインをみせて」と頼まれた場合、デザインのプロセスを見せてほしいというわけではないことに注意が必要です。また、モノ自体を見せてほしいという意図でもなさそうです。モノ自体はまだ存在しないかもしれません。このことからは、モノ(オブジェクト)としてのデザイン についても考える対象になると言えるのかもしれません。デザイナーは、モノとしてのデザインを扱っているということでしょうか。さらに、モノとしての デザインとモノ自体との関係 も気になる点かもしれません。

最終的なモノには、モノを 利用、使用、体験するプロセス を通じて、モノと関わることで 満足や価値 を得る人、つまり、ユーザー がいます。ユーザーが満足してくれるかどうかは、誰でも同じとは限らないようです。また、関わる場や状況 が満足してもらえるかどうかに影響しそうです。ユーザー自体やユーザーがどのように、どんな場でモノと関わるのかについても理解したいですね。

そして、ユーザーが満足するかどうかが、モノやデザインの評価を決めるものであるなら、デザインのプロセスでは、ユーザーの満足こそが目標とすることになりそうです。

以下の章では、この枠組みを使って、様々な行為がデザインなのかどうかを見ていきます。

キャラクターとデザイン

はじめに

この章では、キャラクターをつくることはデザインなのかを考えます。

大塚英志さんの『キャラクターメーカー―6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」』という本を参考に、キャラクターを対象にしてデザインを考えたいと思います。

キャラクターつくり

この本が対象としているのは、まんがやゲーム、アニメ、ノベルスなどに登場するキャラクターのつくり方です。具体的なつくり方はこの記事の関心ではありませんので、デザインという言葉の使われ方を中心に考えていきます。

本書ではデザインと言う言葉が次のように使われています。

このように「キャラクターデザイン」といった場合、それはキャラクターの「絵」としての構想を意味します。
また以下ようにもあります。キャラクターを「デザインすること」とキャラクターを「つくること」との関係です。
ですから本書では誤解を招く言い方ですが、まず、キャラクターとは「デザインするもの」ではなく「つくるもの」だ、と定義することから始めます。「キャラクター」を「デザイン」することは「キャラクター」を「つくる」ことの一部分を成しますが、その全てではありません。「デザインする」、つまり視覚的なレベルのみで他のキャラクターと違った新しい何かを産み出そうと工夫していても、キャラクターは「つくれない」とぼくは考えます。キャラクターの視覚的なデザインというのは、キャラクターを他人と共有するためアウトプットする工程であって、「つくること」それ自体ではありえません。
まず「キャラクターつくり」と「キャラクターデザイン」の区別を考えてみます。

もとの文章では、「つくること」や「デザインすること」のように「こと」が使われています。ここでは、何かの出力を伴う行為や活動としておきます。

「キャラクターをデザインすること」が、「キャラクターをつくること」の一部分を成すということを、図で表したのが以下になります。

次に、出力が何かを考えてみます。素直に考えれば、「キャラクターつくり」の出力は「キャラクター」です。また、「キャラクターデザイン」の出力は「キャラクターデザイン」です。

ここでは、つくられたキャラクターの中にそのキャラクターのデザインが含まれる、との表し方をしました。

先に進む前に、もう少し、「キャラクターつくり」と「キャラクターデザイン」の関係を明確にしておきたいと思います。理由は単に、後の話を簡単にするためです。

さて、疑問は、「キャラクターデザイン」は必須なのか? ということです。つまり、絵としてのキャラクターデザインなしでは、キャラクターは存在できないのか? という点です。本文にはこのようにあります。

ぼく自身の仕事はまんがの原作者であり、まんがを「つくる」現場を生きています。すると近頃は「まんが家」ではなく「キャラクターデザイナー」になりたい、という人たちに少なからず出会います。なるほどアニメやゲームの世界では「キャラクターデザイナー」は職種としては存在します。実を言えばぼくの事務所にはも「キャラクターデザイナー」はいます。ぼくのまんが原作は一部を除いて「キャラクターデザイン」が脚本に添付されます(図-1)。しかし「絵」としての「キャラクターデザイン」がぼくにとって必要なのは、「ことば」でキャラクターのイメージを編集者やパートナーのまんが家に伝えるより合理的であるからです。アニメーションの世界で「キャラクターデザイン」が職業化したのも、多くのアニメーターが一つのキャラクターを作画する際に「書式」を統一化する必要があったからで、仕事としての「キャラクターデザイン」には、このように「絵」による共同作業において意思疎通をスムースにする役割があります。
このことからは、理論的には、キャラクターデザインは必須でないとも読み取れます。合理的でなくても良いのであれば、絵としてのキャラクターデザインは不要になります。また、まんがでなく小説であれば、絵としてのキャラクターデザインも必要でないようにも思えます。

ここでは、キャラクターつくりにおいて、絵としてのキャラクターデザインは、必須ではないとします。絵としてのキャラクターデザインは、行うかどうかを選択できるものであるとします。

この図では誤解を生むかもしれませんので、もう一点だけ、書いておきます。キャラクターと物語の関係です。本文にはこのようにあります。

では「キャラクターをつくる」というのはどういうことか。いかに「つくれば」いいのか。 それが本書のテーマです。

結論はおおよそ二つです。

一つは「キャラクター」とは「物語」と不可分な関係にある、ということ。

最近のまんが評論の中には、もはやキャラクターは手塚治虫的なストーリーから自由になったと主張する人もいますが、なるほど、同人誌やグッズでキャラクターが単独で消費されるという現象はあります。しかし、そのキャラクターはまんがにせよアニメーションにせよ、「初音ミク」のような例外はあるにしても、多くは物語形式のソフトとして最初はリリースされるという事実は変わりません。

本書では「物語論」、つまり物語には一定の文法や形式性があるのだ、という考えに立って、キャラクターの物語上の役割を踏まえて「つくる」という手法を提案します。(省略)

ここでの疑問は、次のように表せます。「キャラクターが存在する時、物語は常に存在するのか?」。もっと正確に言えば、「絵としてのキャラクターのデザインがないキャラクターが存在する時、物語は常に存在するのか?」ということです。

私は、キャラクター論や物語論は素人ですので、答えは分かりません。ここでは単に、NOと回答し、キャラクターのみをつくれる、としておきます。図で表せば先ほどの図になります。

キャラクターとデザインの枠組み

では、キャラクターつくりを、絵といった視覚的な表現に限らない広い意味でのデザインという視点で見てみます。以下の図は、このブログで作成したデザインの枠組みです。

「キャラクターつくり」と「キャラクター」は、この枠組みに当てはまるでしょうか?

「キャラクターつくり」は「デザインのプロセス」に対応しそうです。とはいえ、「キャラクターをつくること」は、空間デザインやゲームデザイン、ソフトウェアデザイン(設計)と呼ばれる他のデザインと同じように、「デザインすること」の一種でしょうか? 「つくること」と「デザインすること」の区別を明確にする必要があるのかもしれません。

「キャラクター」はどこに対応するでしょうか? 枠組みのまま考えるなら、「デザイン」です。「キャラクター」はデザインされたものの一種です。

デザインとしての「キャラクターつくり」での「モノ」とは何でしょうか? 「モノ」とは「ユーザー」との関わりを持つものです。物語もなく絵としてのデザインも持たないキャラクターは、「ユーザー」との関わりを持てるのでしょうか?

まとめ

この章では、デザインの枠組みを使って、デザインとしてのキャラクターつくりがこの枠組みで説明できるかどうかを確かめました。

枠組みの課題として以下が分かりました。

物語とデザイン

はじめに

この章では、物語をつくることはデザインなのかを考えます。

新城カズマさんの『物語工学論』という本を参考に、物語とデザイン(設計)との関係を考えます。

物語工学

新城カズマさんの『物語工学論』という本では、「物語工学」と呼ばれるものが提案されています。また、物語工学と「設計」との関係は、次のように書かれています。
3
物語工学というものがあり得るとすれば、それは広義の「設計学」の一分野となるのだろう。
また、ここでいう「設計」とは何か、については次のように書かれています。
3.1
ここでいう設計とは、単に建物や公園のかたちを決めるだけの技術ではない。もっとも広い意味での設計/デザイン/エンジニアリングとは、何らかの制約条件を与えて、ある状態のものを設計者の意図した別の状態へと導くこと、と表現できる。例えば、テーブルの上のバームクーヘンをコップに変わるように仕向けること。しかも、その経緯に多少の自由度を……もしかしたら失敗する自由も含めて、与えておくこと。
「物語工学」については次のように書かれています。
2.1
物語工学とは、より広い技術体系の一部でしかない。

2.2
工学的に構成された作品は、「物語」であることは保障されるけれども「面白い物語」「素晴らしい物語」であるかどうかは保証されない。「面白い」と「つまらない」と選り分けようとすれば、読者工学論が必要となるだろう。なぜなら、作品の出来不出来を最終的に決めるのは彼ら/我々/あなたなのだから。

「物語」については次のように書かれています。
その1──本書で取り扱う『物語(ストーリー)』とは主に『最近の日本国内もしくは先進諸国において商業的に流通する(し得る)、エンターテインメント性の強いドラマチックなフィクション』を指します。現代文学の最先端や、あまりにも個人的な色彩の強い物語、一部マニア向けの複雑怪奇なジャンル・フィクションについては多くを語りません。

その2──本書の『物語』は、メディアを限定してはいませんが、主に現行の小説・コミック・映画・演劇・TVドラマ・ゲーム等を念頭においています。かつては盛んであっても現在は廃れてしまったメディア、あるいは今まさに芽生えつつある21世紀的な娯楽メディアについては、特に言及していません。

もうすこし簡潔には、次のように書かれています。
すなわち、物語とはキャラクターである……少なくとも、キャラクターという観点から物語の構造と本質をよりよく見通し、その作成に役立てることは十分に可能である……と。
以上のことを参考に、次節では、物語をデザインの枠組みの中で考えます。

物語とデザインの枠組み

以下のデザインの枠組を使って物語のデザインを考えていきます。枠組みの各要素が、どのように物語におけるデザインに対応するのかを確認します。

まず「デザイナー」に対応するのは何でしょうか? 新城さんの言葉でいえば、「物語作家」が対応しそうです。

「……物語は、どうやって、どこから創ればいいのだろうか?」 こんな質問を受けた時、物語作家はとても悩みます。

次に、「ユーザー」に対応するのは何でしょうか? 以下を参考にすると、「読者」が対応しそうです。

工学的に構成された作品は、「物語」であることは保障されるけれども「面白い物語」「素晴らしい物語」であるかどうかは保証されない。「面白い」と「つまらない」と選り分けようとすれば、読者工学論が必要となるだろう。なぜなら、作品の出来不出来を最終的に決めるのは彼ら/我々/あなたなのだから。

しかし、「ユーザー」という表現は少し抽象度が低いのではないかと感じます。「読者」は「ユーザー」の一種でしょうか?

次に、「ユーザー満足感」、に対応しそうなのは、「面白い」や「素晴らしい」、「つまらない」となりそうです。

次に、「物語」はどこに対応するのでしょうか? 「デザイン」と「モノ」のどちらかのようです。「モノ」に対応しそうです。では、物語の「デザイン」に対応するものは何でしょうか? たとえば、「物語作家」に物語の「デザイン」を見せてほしいと頼んだ場合、どういうことになるのでしょうか?

また「小説」「コミック」「映画」「演劇」「TVドラマ」「ゲーム」等のメディアはこの枠組みではどんな位置づけになるのでしょうか? 対応する要素としては「モノ」になりそうです。

まとめ

この章では、デザインの枠組みを使って、デザインとしてのキャラクターつくりがこの枠組みで説明できるかどうかを確かめました。

枠組みの課題として以下が分かりました。

料理とデザイン

はじめに

この章では、料理をつくることは、デザインなのかどうかを考えます。

デザイン言語2.0 ―インタラクションの思考法』という本に、「日本料理をデザインする」という章があります。この章の執筆者は、柳原一成さんという方です。日本料理の専門家であり、料理教室なども開催されている方のようです。

さて、内容は、日本料理をデザインという言葉を所々で使って解説する、という印象でした。それでも、料理の専門家がデザインという言葉をどのように使うのかは、参考になります。

この章では、デザインの枠組みを意識しながら、柳原さんの日本料理のデザインの見方を考えていきたいと思います。

日本料理のデザイン

何のデザインなのかという視点で一通り読んでみると、以下のデザインがあることが分かりました。 なお、膳組とは、国語辞書によると「日本料理で、膳に並べる料理の種類・品数を決めること」のようです。

上記の項目は、分類は少し難しいのですが、以下のように分類できるような気がしました。

さて、分類に迷ったのは「料理のデザイン」です。「料理のデザイン」といった場合どのようなデザインまでを含むのか、という疑問です。これに関しては、少し本文を引用してみます。
味のデザイン、盛り付けのデザイン

まず、「味をデザインする」とはどのようなことなのか。「味良く、食べ良く、姿良く」整えることが料理のデザインと、私は考えています。

ここで「姿良く」がどこまで含むのかが微妙なところです。作法は、食べる人の姿良く、という意味かもしれないためです。しかし、この文のタイトルが、「味のデザイン、盛り付けのデザイン」であることから、「作法のデザイン」や「いただき方のデザイン」は「料理のデザイン」には含まない、と考えます。

ちなみに、個人的には、「整える」という言葉が印象的でした。一般化すれば、何か(料理)の何か(味、食べやすさ、見た目)を「整えること」が「デザインすること」、であるとなります。たとえば、キャラクターをデザインする、とは、キャラクターの何かを整えることでしょうか?

次ですが、盛り付けに関しては次のことが興味深いかもしれません。

魚でも同じです。夏から秋口がおいしいスズキを刺身にする際一キログラム半なのか、三キログラムなのかによって、切り身の厚さや幅が変わってしまいます。必要な大きさのものを頼むか、または探します。つまり、素材を選ぶところから盛り付けは始まるのです。
つまり、盛り付けがデザインであるなら、盛り付けにおける素材選びはデザインの中の一つの行為だということです。

膳組に関しては、膳組とは何かについての解説だけに思えましたので省略します。

次に、作法のデザインについてです。これは、茶懐石の解説の中で触れられていました。なお、茶懐石とは「お茶にまつわる料理」とのことです。

茶懐石には給仕側にも食べる側にも約束事があります。自分で勝手気ままに食べるのでなく、挨拶されてはじめて、箸を取り上げます。それから、お酒が出てから向付に手をつけるなど、さまざまな決まりごとがあります。それが茶懐石の中における「作法のデザイン」だと私は思います。やりとりの仕草や挨拶は身につけると本当に美しいもので、約束ごとはきゅうくつのように思われる向きもあるかもしれませんが、約束があるからこそ、かえって自由であるのです。
最後に、いただき方のデザインについてです。「いただき方もデザイン」という節があり、そこでは、美しい箸づかい、ということからはじまって、以下のことが解説されていました。

料理とデザインの枠組み

それでは、デザインの枠組みを用いて、料理のデザインを見ていきたいと思います。

料理におけるデザインでは、以下の分類に基づくデザインを特定できそうでした。

ここでは、簡単のため、(1)と(2)だけに着目します。

さて、残念ながらここまでで、料理自体の定義がありませんでしたので、wikipediaを参照することにします。

料理(りょうり)とは、食品や食材、調味料などを組み合わせて加工を行うこと、およびそれを行ったものの総称である。
この料理の定義では、料理の姿・見た目に関する行いは含まれていません。

さらに、柳原さんの言葉を思い出してみます。

「味良く、食べ良く、姿良く」整えることが料理のデザインと、私は考えています。
この言葉から分かるのは、料理のデザインには、一定の方向性、あるいは、目標があるということです。「味の良し悪し」があり、「食べやすいかどうか」があり、「姿の良し悪し」があります。

ここでは、これら3つの良し悪しを最終的に評価するのは、食べる側であると考えます。

また、食べる側に料理を出した時点で、その料理の姿に関わる何らかのことが行われているものとして考えます。たとえば、適当なお皿に適当に盛り付けたとしても、いずれにせよ、食べる側はその料理の姿を見ることになると考えます。極端なことをいえば、お皿に盛りつけられないない料理でも、料理と見なします。

以上をふまえて、次に、以下のデザインの枠組みを使って考えていきます。

まずは、「デザイナー」に対応するものは何でしょうか? 料理をつくる人、あるいは、料理をデザインする人が対応しそうです。ここでは「料理人」と呼ぶことにします。

次に、「ユーザー」に対応するものは何でしょうか? 「食べる側の人」のことです。一般的に何と呼ばれるのでしょうか? ここでは「食べる人」と呼ぶことにします。

また、ここでの疑問は、「食べること」は、「利用すること」なのでかということです。 「ユーザー」や「利用」ではない別のより一般的な表現が必要にも思えます。

次に、「モノ」に対応するものは何でしょうか? 「料理」ではないかと思います。

次に、「デザイン」に対応するものは何でしょうか? これははっきりしたことは分かりません。たとえば、「料理人」に料理のデザインを見せてほしいと頼んだ場合、どういうことになるのでしょうか?

「ユーザーの満足」には何が対応するのでしょうか? 柳原さんの言葉でいえば、三つの満足がありそうです。

まとめ

この章では、デザインの枠組みを使って、デザインとしての料理つくりがこの枠組みで説明できるかどうかを確かめました。

デザインの枠組みを使ってみて、繰り返し起こる疑問は以下のものがありそうな印象です。

形成外科とデザイン

はじめに

この章では、形成外科でのデザインは、デザインなのかどうかを考えます。

デザイン言語2.0 ―インタラクションの思考法』という本に、「形成外科のデザイン」という章があります。執筆者は、小林正弘さんという方です。

この章では、デザインの枠組みを意識しながら、形成外科でのデザインの見方を考えていきたいと思います。

形成外科でのデザイン

本文からデザインに関わる部分を引用していきます。また、形成外科とは何かについても、引用していきます。
私は、形成外科を専門とする医師です。研究として、コンピュータを使った手術計画、つまり、「デザイン言語」に則して言えば、「手術のデザイン」に取り組んできました。[...]

次に、形成外科の説明です。整形外科と美容外科との違いをもとに説明がありました。

形成外科は、体表の形態の変形・欠損を扱います。先天的なもの、がんなどの手術で顔面や乳房などを切除したときに生じるもの、あるいは、外傷によって生じるものなどがあります。整形外科は、形成外科と名前は似ていますが、内容はまったく異なり、体表でなく、もっと深いところを扱います。整形外科は、骨や関節など運動器を扱う外科で、いわゆる骨折や捻挫、腰痛などを扱います。
ここで重要なのは、形成外科は「体表の形態」を扱うという点です。また、どのような「体表の形態」なのかというと、「変形・欠損」したものであるということです。
美容外科は、正確に言うと形成外科の一領域です。形成外科が、異常な状態を正常な状態に戻すものであるのに対し、美容外科は、正常の範囲内でより美しい状態に変化させます。どちらも、体表の形態を扱うことに変わりはありません。[...]
ここでは、「体表の形態」を使うという点では、形成外科も美容外科も違いはないということです。というのも「体表の形態」を扱うという共通点をもとに、形成外科でのデザインで言えることは、美容外科でも言えるかもしれないからです。
次に、形成外科とデザインについてお話します。意外と思われるかもしれませんが、形成外科では「デザイン」という言葉を非常によく使用します。二通りの意味があります。実際の使用例で紹介します。一つは、手術前のカンファレンスの時に、指導医が、研修医に、「どのようなデザインで手術をするの?」と尋ねます。もう一つは、手術室において、術者が若い医師に、「デザインしておいて」とか「デザインしてみて」と言います。
二つのデザインがあるということです。
前者の「どのようなデザインで手術するの?」は、「どのような手術計画を立てますか。」の意味です。医療における「デザイン」には、一般の日本語における狭い意味とは異なり、「計画を立てる」という意味があります。[...]
形成外科での一つ目の「デザインすること」とは「手術計画を立てること」ということです。より一般的に言えば、「デザインすること」とは、「計画を立てること」という見方です。

もう少し引用します。

正常でない形を正常に直すのが形成外科医の仕事ですが、患者さんの状態は、症例により、非常に多くのバリエーションがあり、それぞれに対して最良の手術方法は異なります。消化器外科の手術、たとえば、胃癌を切除する手術の場合、手術書にはどこをどうやって切開して、どの血管をどこから何センチのところで結 紮してと、具体的に細かい記述があります。手術は、その「マニュアル」に沿って行うのが一般的です。しかし、形成外科の手術はそうはいかず、その患者さんの欠損や変形の状態によって最適な手術方法を選択する必要があります。従来の手術方法では対応できず、新しい手術方法を考案する必要さえあります。そのために、手術方法を選ぶ、さらに、選択した手術方法を細部においてどのように行うのかを検討することが、良好な結果を得るための大切な要素となります。形成外科において、手術を「デザイン」することは非常に重要です。
ここで重要なのは、「手術」をデザインする、という点です。後に、「顔」をデザインする、と書かれている部分があるからです。
後者の「デザインしておいて」の「デザイン」は、患者さんの手術部位に、実際に手術(切開)するラインを引く作業を指します。本来、術者がすべきことですが、勉強の意味を含めて若い医師に、「デザインしておいて」と言うことがあります。もちろん、最終的には術者が確認して、必要があれば修正します。
形成外科での二つ目の「デザインすること」とは、「患者さんの手術部位に、実際に手術(切開)するラインを引く作業」ということです。
私たちは、「シミュレーション」するという表現も使います。模擬練習するという意味と、あらかじめ手術を試行してみて、その手術結果を確認するという意味もあります。これは、デザインと同じようなニュアンスだと思います。
これについては、今回は議論せずに保留したいと思います。「模擬練習すること」、あるいは、「試行すること」は「デザインすること」なのかという点です。
後者のデザインですが、デザインする際、患者さんの皮膚に線を引くための手術専用のサインペンがあります。太いものと細いものがあります。どのように切開するか皮膚の上に書いていきます。もちろんその場で考えるのではなく、術前にカンファレンス等でどのような手術法にするのかを予め決めておいて、その計画どおりに忠実に皮膚の上にマーキングを行います。外科の手術は、患者さんの前に立って、いきなり大きいメスでばっさりと切りますが、形成外科の手術は、あらかじめデザインしてから、非常に小さいメスで、その線をなぞるように切開していきます。充分な手術計画に基づき、正確で丁寧な手術を行う必要があります。いい加減な手術計画で手術に臨んでしまうと、つじつまが合わなくなってしまいます。
ここで一つ重要だと思ったのは、形成外科での二つのデザインの関係性です。明示的には書かれていませんが、「手術計画」と書かれているので、これは、一つ目のデザインの結果のことであると思われます。二つ目のデザインは、この一つ目のデザインに基づいて行われる(行われることが理想)ということです。

次に、少し長いですが、重要な点なので引用です。

正常な形とともに、笑顔も取り戻す

形成外科は、もともと機能ではなく形態を扱う分野です。「形態なんてどうでも良いのではないか」という意見もあります。でも実は形態は重要な意味を持っています。顔が形成外科の主な領域ですが、顔がないとどうなってしまうでしょうか。人間において、顔は非常に大事な部分です。映画『千と千尋の神隠し』に、「カオナシ」というキャラクターが出てきます。映画の中ではっきりとした説明はなされていませんが、「カオナシ」は、顔に相当する部分にお面をつけています。顔がないためにコミュニケーションがとれず、友達をつくることができないキャラクターです。この例のように、人間は、顔がないとコミュニケーションをとれなくなります。

[...] 顔を向き合わせなければ本当のコミュニケーションはできません。そして同時に顔は表情を伝えます。表情で気持ちを伝えて、相手の意見に本当に同意しているか、反対しているかが、特に言葉に出さなくても伝わります。人間には表情筋という数多くの筋肉があるのですが、これは人間だけが持つ筋肉であり、人間だけに与えられた能力です。形成外科はそのような顔をデザインするのが主な仕事なのです。

この節のタイトルと最後の部分が重要です。 ・正常な形とともに、笑顔も取り戻す ・顔をデザインする まず後者について考えます。先ほどの二つのデザインをもとに考えてみます。 まず、一つ目のデザインの結果は、「手術計画」であると考えられれます。これは「顔をデザイン」したことになるのでしょうか?

また、二つ目のデザインの結果は、「ラインが引かれた体表」であると考えられます。これは「顔をデザイン」したことになるのでしょうか?

この疑問に関しては最後にまた考えます。

次に、前者です。ここで読み取れるのは、正常な形(形態)が形成外科での手術の結果として目標とする状態であるということです。また、笑顔が取り戻された状態に関しても同様です。

二つのデザインとの関係性で考えてみると、これら二つのデザインを行っただけでは、まだ「正常な形(形態)」になっていませんし、まだ「笑顔を取り戻せて」いません。そうなるには、実際に手術を行う必要があります。

続きをもう少し引用します。

美容外科のさまざまな手術後、患者さんが不満を訴えてくることがあります。本当に手術がうまくいっていない場合もありますが、そうでない場合もあります。興味深いのは、鼻の手術結果に対し患者さんは非常に敏感であるということです。正確な理由はわかりませんが、鼻に関しては非常に多くの患者さんが「ここはダメだ」などと執拗に執着します。また、乳癌などで乳房切断手術をすると、女性は女性であることに対する喪失感を覚え、強いダメージを受けることがあります。形成外科は、このような状態を克服してあげて、患者さんの笑顔を取り戻すのが目的です。正常な形を取り戻すだけではなく、患者さんの笑顔をも取り戻すのが仕事だと思っています。

メンタルな面の紹介をしましたが、それだけではなく形態の異常は機能にも直接的な影響を与えます。先ほど紹介した漏斗胸ですが、重度の症例の場合は、絶対的な呼吸障害により手術が必要となることもあります。形態を改善することにより、呼吸機能の改善がなられます。しかし、漏斗胸のほとんどの症例は、病的な呼吸障害はなく、整容的な目的で手術を行います。ここで興味深いのは、重度の呼吸障害がなく、形を直すために手術を行うのですが、手術が終わってみると患者さんが「呼吸ってこんなに楽だったんですね」と言うことがあります。

ここで重要なのは、「患者さん」にとって何らかの「不満」や「満足」があることです。「呼吸が楽にできて生活しやすい」などです。

また、「仕事」という言葉は使っていますが「デザイン」という言葉は使っていない点も少し気になります。

最後の引用です。

形成外科のデザインに関して、お話をしました。形成外科は、人間の主としての顔の表面形状を扱うのですが、その対象とする範囲は、形態に留まらず、機能や気持ちにまで及びます。手術を正確に、負担が少なく、良好な結果が得られるように、手術をデザインする研究に取り組んでいます。現在の段階でできること、いまだにできないことがありますが、今後、この分野の研究が進み、より良いデザインができるものと信じています。
ここでも、「手術」をデザインすると書かれています。先ほど、「顔」をデザインすると書かれていることも紹介しました。もう一度引用します。
形成外科はそのような顔をデザインするのが主な仕事なのです。
ここでは、「顔」を一般化して「体表の形態」と呼ぶことにします。

さて「体表の形態をデザインすること」と「体表の形態の手術をデザインすること」とは同じでしょうか? また、デザインした結果の視点から見れば、「体表の形態をデザインした結果」と「体表の形態の手術をデザインした結果」は同じでしょうか? 形成外科でない他の分野のデザインを例にもう少し考えてみます。

あるデザインされた結果に対して、その結果に到達する過程は一つとは限らないと考えられます。したがって、私の答えは、互いに関係はするが異なるものである、ということです。「体表の形態の手術をデザインすること」の過程においては「体表の形態をデザインすること」も行われていると考えます。

形成外科とデザインの枠組み

それでは、デザインの枠組みを用いて、形成外科でのデザインを見ていきたいと思います。
まず、形成外科でのデザインには二つあるとのことでした。 また、両者は独立しているものではなく、手術計画に基づいて、ラインが引かれる作業が行われるとここでは考えました。ここでは、適切かどうか分かりませんが、二つのデザインを合わせて、「手術計画のデザイン」と呼びます。

また、「体表の形態のデザイン」も「手術計画のデザイン」に暗黙のうちに含まれると考えます。

これを踏まえて、枠組みの要素がどのように対応するのかを見ていきます。

まず、「デザイナー」に対応するのは何でしょうか? 「術者」であると考えます。

次に、「デザイン」に対応するのは何でしょうか? 「手術計画」のように思えます。

次に、「モノ」に対応するものは何でしょうか? ここでは「手術計画」に基づいて手術された「体表の形態」であると考えます。

次に、「ユーザー」に対応するものは何でしょうか? 「患者」です。ここでは「ユーザー」と呼ぶのが適切なのかどうかが疑問となります。「患者」さんは自身の「体表の形態」を利用する、とするのが適切でしょうか?

最後に、「ユーザーの満足感」に対応するものは何でしょうか? 具体的な不満や満足にどのようなものがあるのかは、本文には書かれていませんでしたが「笑顔になれる」や「生活しやすい」などが対応するかもしれません。

まとめ

この章では、デザインの枠組みを使って、形成外科でのデザインこの枠組みで説明できるかどうかを確かめました。

枠組みの課題として以下が分かりました。

参考資料

更新履歴

todo/memo